【Music Lovers File④】景色をつくるひと~ライブバーファンダンゴ店長・加藤鶴一~


質問1. どういうきっかけで音楽に関わるお仕事を始めようと思われたのでしょうか?

元々、僕自身は将来こうなりたいとか、何かをしたい等のビジョンが全くありませんでした。

ただ自分に刺激を与えてくれる音楽が好きで、そういう音楽を体感しに行った場所でアルバイト募集のポスターを見てしまったのが今に繋がってます。

仕事が不安定で食べていくのも必死だった当時の僕にはそのポスターが凄く魅力的でした。

だから、それがファンダンゴというライブハウスだっただけで、ちょっとタイミングがずれていたら全く別の職種に就いていた可能性もあります。


質問2. ご自身が音楽にのめり込むきっかけになったことがあれば教えてください。

全てにおいて多感な中学生の頃、僕の友達で小学生の頃から一人暮らししている子がいて、自然とその子の家が皆んなの溜まり場になってしまって、僕は色んなものをその溜まり場で教わりました。

ここでは書けない事がそのほとんどですが、その中で一番刺激的だったのが音楽でした。

中学2年生の時にジョンレノンが射殺されて、それが切っ掛けでビートルズを窓口に洋楽を聞くようになったのが切っ掛けですが、その僕らの溜まり場には色んな人間が出入りしていて、その一人一人が自分の好きなレコードを持って来ては、別のものを借りて帰るというような事をしてたんです。それが僕にとっては凄く大きかったですね。


質問3. ファンダンゴとの出会いについて教えてください。

1988年に当時大好きだったTHE FOOLSという不良の匂いしかしないロックバンドを見に来たのが、最初の出会いでした。当時ちょこちょこ遊びに行っていたエッグプラントという西成にあったライブハウスも最初は入るのが怖かったですが、ファンダンゴも最初に入る時に緊張したのをよく覚えています。僕が若かった頃のライブハウスは、不良の溜まり場的なイメージが先行してて、今ほど世間に認知されてなかったように思います。



質問4. ブッキングはほとんど全て加藤さんがご担当されているとお聞きしました。ブッキングの面白さと難しさについてお聞かせください。また、このブッキングは上手く行ったなあと思う瞬間はどんな時でしょうか。

来てくれたお客さん、出演してくれたバンド、僕らライブハウスの皆んなが得をしたと思える一日を作れた時に、その日のブッキングをして良かったと思います。ただ、それは単なる結果であって、そこに辿り着くまでの過程の中にストーリーが幾つもあればある程、その達成感は大きなものになります。

僕らの仕事は単なる商品を扱ってるのではなく、人間を扱っている訳ですから、それはそれで大変面白いです。ただ、その逆にむちゃくちゃ難しいです。

この仕事に就いて30年になりますが、上手くいったという感触は数える程しかなく、大概は何らかの反省点や後悔が残りますね。もしかしたら、それが面白さなのかも知れませんね。


質問5. 出演アーティストは音楽よりも人間性が大事と考えておられるとお聞きしたのですが、今まで自分に刺激を与えてくれたアーティストやライブを教えてください。

昔からそうなんですが、好きになった音楽があったら、その音楽はどんな生き方をしてきた人間が、どんな状況の中で、何を思ってそれを作ったかが気になるんです。それは、音楽のみならず、小説でも映画でも殺人事件でも何でも一緒です。だからかも知れないですけど、まず人と出会えば、その人の生い立ちであったり、その人が身を置いている環境であったり、今考えている事であったりが凄く気になるんです。それが、僕の人生と重なってないなら尚更です。まず、僕は人に魅かれますね。それから、その人がやっている事に魅かれるんです。

今だに10代の人にも刺激を受けますし、ほんの些細な事で昨日まで何にも感じなかった人にいきなり興味を持つ事もありますし、自分自身が幾つ歳を取っても、それは変わらないのだと思ってます。

だから、今まで刺激を与えてくれた人やライブは星の数程ありますので、ここでは書ききれません。


質問6. ファンダンゴでは様々なイベントが行われていますが、以前当サイトでインタビューしたLOSTAGEの一週間連続ライブは非常に印象的でした。このイベントはどういうきっかけで行われたのでしょうか?

3月25日(月)~3月31日(日)から7日間に渡って繰り広げられたLOSTAGEによる「7」というイベントは、LOSTAGE/五味君と飲んでいる時にファンダンゴ移転の話になり、それならば最後にこれまでのファンダンゴで誰もやっていない事をやりたいという五味君の発想から生まれたもので、どうせやるなら一週間連続で皆んなの心に残るようなイベントにしたいという事でした。

その五味君の言葉の通り、その7日間の内容はどの日も気を緩める事が一切出来ないような強烈な内容になりました。

彼等のように、既存のものをぶちこわして新しいものを作り続けているアーティストには、いつも刺激をもらってます。


質問7. ファンダンゴを思い出すとき、名物階段、入口のペイント、店内の壁画、隣の駐車場と、足を運ぶお客さんにとっても、恐らくステージで演奏する人間にとっても、印象的な景色が広がります。加藤さんはその景色にどんな思い入れがありますか?

気がつけば30年、人生の半分以上をファンダンゴと生きてきた訳ですから、その景色の一つ一つにただならぬ思い入れがあります。今のファンダンゴは作ろうと思って出来上がったものではなく、営業している過程で次から次へと出てくる問題に対処しているうちに出来上がったものです。だから、言うなれば出演者の方々やお客さんと一緒に作ってきた感はあります。出演者の方からすれば、使いにくい特殊なライブハウスなんだろうと思うんですよ。逆にそれが印象的なんでしょうね。それはお客さんにとっても一緒だと思います。この場所での営業が終わって、ここを出て行く時に、自分がどういう気持ちになるのだろうかと考えたりもしますが、今のところ想像がつきません。


質問8. ファンダンゴの長い歴史の中に身を置く中で、ご自身の仕事へのモチベーションが下がることもあったかと思います。そういう時にどんな風に気持ちを持ち直してこられましたか?

僕はどちらかというと単細胞で、一つの事を考えるのが精一杯なところがあります。だから、モチベーションが下がってしまうと、他は何も考えられなくなって、ブッキングどころじゃなくなってしまう事が多々あります。そんな時は、無理してでも色んな人に会って、人と話すようにしてます。そうする事で、上手くその状況から抜け出すヒントを探してる節があります。必要以上にお酒を飲むのもそんな時かも知れません。

それによって更に悪い方向へ行く事もあったりしますが、大概の場合はいつの間にか真っ暗なトンネルから抜け出たような、何かすっきりとした気分になってます。


質問9. 移転が決まったときの心情と、今の心情をお聞かせください。

最初にオーナーからこの場所を売ったので「ファンダンゴも無くなるから、この先どうするか考えといてくれ」と言われた時は、正に寝耳に水だったので、最初はオーナーが何を言ってるのか理解出来ませんでした。何度か聞き返して、ようやく理解は出来たものの、何で僕たちにひと言の相談もなしで、そんな大事な事を勝手に決めるんだという憤りしかなかったですが、そこで争うのも無意味なように思えたので、もう決まってしまったものは仕方がないと思い込むようにしました。

実は、この機会にファンダンゴという存在を無くしてしまう事も考えましたが、結局は存続する為に移転先を探す方を選択しました。新しい場所で新しい事を始めるという事に対して、不安で不安で仕方ありませんでした。だからその移転という決断を下すまで、半年もかかったのだと思います。

そう決めてから、関係者の方々に移転の旨を徐々に伝えて、昨年10月には世間の皆さんに発表して、そうする事で考える事が一つしか無くなったので、楽になりました。

不安は不安ですが、今の気持ちとしては新しいファンダンゴへの期待と楽しみが、心の中で大きくなっているのを感じてます。


質問10.  平成31年4月19日(金)にファンダンゴの移転先が堺になることが発表されました。堺は加藤さんの地元であるとお聞きしましたが、今、またご自身が育った町に戻ることになった巡り合わせに、どのようなことを感じておられますか?

自分が生まれ育った町が愛おしいという気持ちはずっとありました。ファンダンゴという形態ではなくても、いつかは地元の堺で何かやりたいという思いもずっとありました。むしろ地元への愛は若い頃より確実に今の方が強いです。職場が十三でありながら、堺でたくさんの信頼出来る仲間やバンドマンと知り合っているのもそんな気持ちからだと思います。そんな事から、ファンダンゴが堺に移転になったのは偶然ではなく、必然なのだと感じています。


質問11.  新しい場所で、新しいファンダンゴを作ることに、迷いも戸惑いもあったと思います。それでも一から新しいファンダンゴを作ろうと思ったのはどうしてですか?

この場所での営業が出来なくなると親しい人に報告していく過程で、僕たちが作ってきたものの大きさを感じた事が一番です。それまでは、あんまり過去を振り返らなかったし、自分のやっている事にあんまり感心がなかったです。たくさんの方に十三ファンダンゴ閉店の話をする度に、改めてファンダンゴというものの役割を考えるようになりました。そのうちに、こういう場所を必要としている人が意外と多い事を感じて、形を代えてでも続ける意味があると確信するようになりました。


質問12.  移転までの期間にも、ファンダンゴではたくさんの素晴らしいイベントが用意されています。移転発表後に行われてきて、これから行われていく数々のイベントには、移転を知ったファンダンゴを愛する人達からのエールが込められているような気もしました。加藤さんにとって出演するバンドやアーティストはどんな存在でしょうか。

何事にも変えられない僕の財産です。

移転の件を報告してからというもの、本当に数えきれないぐらいの方達からエールを頂いてます。中にはわざわざ遠方から会いにきてくれたり、何十年かぶりに連絡をくれたりもあります。それらの皆さんにまた借りが出来てしまいましたから、絶対に新しいファンダンゴをしっかり形にする事で、借りを返すしかないと思っています。


質問13.  あなたにとって、音楽とは何ですか?

生きている限り、切っても切り離せないもの。

死んでないから分からないけど、あの世に行ってからもそうなのかも知れません。


質問14.  あなたにとってライブハウスとは何ですか?

人間の魂と魂がぶつかり合える貴重な場所であり、それだけに最高の遊び場だと思っています。

SNS等が主流になって、人間同士の関係が希薄になりつつある現在において、今から本当に大切になってくるのはこういう場所なのだろうと思ってます。


質問15.  新しいファンダンゴの未来像を教えてください。そして、これからファンダンゴを訪れるだろう人達にメッセージがあれば教えてください。

新しいファンダンゴは、今以上に皆んなが気軽に集まる事の出来る場所にしたいです。

騙されたと思って、一度遊びに来て下さい。新しいファンダンゴを一緒に創りましょう。


----------------------------------- Answer from Turuichi Kato


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入り口のペイント。店内の壁画。洞窟の中にいるような錯覚。くるくる回る照明。

美味しいお酒。演者達が下りてくる階段。少し高めのPAブース。

視界を遮る柱さえも、すべて愛おしい。


きっと、ファンダンゴでライブを見たことのある人には伝わるだろうこの感覚。

その場所が無くなると聞いたとき、多くの人が悲しみにくれていた。

それぐらい、ファンダンゴで見るライブはたくさんの人にとって特別だったのかもしれない。


異世界に足を踏み入れたような感覚に陥る風景と、そこに集まる人のエネルギーと、ライブハウスを支える人の思いと、ステージで演奏する演者の熱と、どこまでも素晴らしく響く音楽と、すべてが完璧に重なった時、信じられないようなシーンをつくる。


圧倒的な景色を前に、胸の奥に得も言われぬ感情が湧き上がる。

あの日の続きを見たいと思える時間を何度もつくり出してきた場所だ。


そして、その景色をつくり、守ってきた人が、次にまた新しい景色をつくるんだという。

これほどに楽しみなことがあるだろうか?


ファンダンゴが堺に移ることは必然だったのか?

その答えを知りたいと思う。

人の魂と魂がぶつかる場所、ファンダンゴ。

その未来を楽しみに待っている。



【Information】

ライブバーファンダンゴ

fandango-go.com

【移転先決定のお知らせ】

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